伊賀国楯岡出身(そのため、楯岡の道順とも)
伊賀忍術四九流の頭領で、伊賀崎孫兵の名前の由来となった忍。
近江国守護・六角承禎の依頼で、伊賀忍者四十余名、甲賀忍者四名を率いて佐和山城百々氏に夜討ちをかけたとされる。その際、猟師や乞食に化けて侵入(妖者の術)。敵の油断を見て放火し、敵が混乱すると六角勢を引き入れ、これを陥落させた。この時、戦いの吉凶を占った陰陽師が道順に送った、「佐和山に 百々(どど)ときこゆる雷も 伊賀崎入れば 落ちにけるかな」という歌が残されている。
伊賀の乱後、一宮敢国(あえくに)神社で休息中の信長を狙撃するも、失敗に終わったという話もある。
*(天正)伊賀の乱
織田軍勢による伊賀攻め。第一次伊賀の乱では大勝するも、第二次伊賀の乱では、伊賀国のほぼ全域が焦土と化したという。
*道順が登場する書物 → 万川集海
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