忍者ブログ

小春日和。

落乱の小ネタをなんちゃってで調べようとした何か

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

    [
  • ]

自然居士 (じねんこじ)


〇自然居士(能)
自然薯居士の名前の由来になった世阿弥作の曲目、
自然居士が、舞などの芸でもって人買いから幼い少女(少年)を救う話。

〇自然居士(人物)
能の自然居士のモデルとなっている説教者、勧進聖。
鎌倉後期(1300年ごろ)の禅僧とされているが、生没年は不明。
歌舞や小唄を用いて、民衆に仏道を説いたといわれる。

自然薯居士が若い頃に名乗っていたとされる
「八宝行者」の由来は果心居士の別名「七宝行者」から?

*居士 : 出家をせずに仏教に帰依し、修行する男子のこと
*勧進聖(かんじんひじり) : 寺院の造立・修復のための資財を募り、諸国を回る僧のこと
*果心居士 : 室町時代末期の幻術師
PR

山中 鹿之介 (やまなか しかのすけ)


山中幸盛(通称鹿介。鹿之介・鹿之助とも)
出茂鹿之介の名前の由来となっている尼子氏の家臣。

一騎打ちの逸話も残る。
「山陰の麒麟児」の異名を持つ、武勇に優れた美男子であったと言われる。
毛利氏に敗れた尼子氏の御家再興に助力した。主家の再興を願い、
「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという逸話がある。

幸盛はじめ尼子遺臣団は、織田信長の毛利攻略の中国遠征に先鋒として参加するが、
織田軍が上杉や石山本願寺との戦いに備えるべく撤退したため孤立。降伏した。
(上月城の戦い。これにより尼子氏滅亡)
幸盛は毛利輝元の下へ護送される途上、謀殺された。

後に幸盛は、尼子十勇士の一人として称えられ、忠義の武将として講談などに採り上げられる。

 

孫次郎・節木増・平太・怪士


1年ろ組の、初島孫次郎、鶴町伏木蔵、下坂部平太、二ノ坪怪士丸の名前の由来となっている能面。
 
  
〇孫次郎(まごじろう)
金剛流の代表的な女面。 
名前は、室町時代、金剛右京久次(孫次郎)が、若くして亡くなった妻の面影を偲んで打ったという伝承から。 眼は浅い二重瞼で、毛描きは額中央からの2本に、途中こめかみからの2本が加わり、計4本で頬に流れる。


〇節木増(ふしきぞう)
節のある用材で作られた増女(ぞうおんな)の面で、宝生流の本面。
鼻筋の左の付け根の辺りに節があり、ヤニが滲み出てシミになった。これがまた1つの景色として風情があるということで、塗りなおさずに「節木増」の名称で呼ばれるようになった。
後に、この面にならって同じ個所にシミを作った写しが制作された。


〇平太(へいた)
血気盛んな歴戦の武将の面で、青年をあらわす能面の代表格。
名前は鎌倉時代の武将、荏柄(えがら)平太胤長の顔を写したとも、「箙(えびら)」の梶尾平三景時(かじわらへいぞうかげとき)、源太景季(げんたかげすえ)親子の名に由来するとも言われている。
日に焼けた肌と、太くはね上がった眉先、精悍な髭を持ち、眼を見開いた姿で描かれる。


〇怪士(あやかし)
罔像(罔:水中の溺鬼)、霊神とも書かれる。
海に現れる妖怪や、武将の亡霊、霊的な神などに使用される面。
沈んだ肌の色と痩せた頬を持ち、歯には鉄漿(おはぐろ)、眼には金泥(きんでい/金粉をにかわで溶いた顔料)が施される。



*増女 : 田楽の名人、増阿弥によって創作された面。成熟した女性の面で、天女など神性の強い役に使用される。毛描きは、額中央から横へ二本、こめかみに三本、こめかみから頬へ三本の三段に引かれる。
*本面 : オリジナルの面。室町~安土桃山時代頃に創作されたものがほとんど。
*写し : 本面を基に作られた模倣面。
*箙 : 源平の戦いで、梶原景季が梅の枝を箙(合戦の際、矢を入れて腰や肩から下げた容器)に差して戦ったという古事に基づく、世阿弥作の謡曲。

喜六・清八・源兵衛 (きろく・せいはち・げんべえ)


加藤村の馬借、喜六・清八・源兵衛の名前の由来となっている、上方落語の登場人物。
主に3人とも、大阪の若い衆で職人設定。江戸落語で言う所の、熊さん八っつぁん的ポジション。
一緒に旅に出る噺が多い。定番は「宿屋仇(東の旅)」「西の旅」など。

〇喜六
うっかり者。ボケ担当。
ひとりで登場する場合は、甚兵衛という長屋のおじいさん(学園長のような人物)が大抵相手役。
3人の間での呼び名は「喜ィ公」「きーやん」。

〇清八
しっかり者。ツッコミ担当。喧嘩っ早い一面も。
喜六のやや兄貴分的存在で、ふたりがセットで登場する話が多い。
3人の間での呼び名は「清やん」

〇源兵衛
まれに登場する、2人の兄貴分。格好つけ。まとめ役。
3人の間での呼び名は「源やん」

源兵衛が、格好を付けてある事ない事自慢話を始め、喜六は源兵衛の話を信じ込むが、
清八には、話の所々で突っ込まれてしまい、誤魔化しているうちに、だんだんボロが出てくる。
という流れが定番。


*上方落語 : 大阪・京都を中心に発達した落語。基本的に大阪弁で語られる。はめもの(三味線・鳴りもの等)や、見台(机)・膝かくし(衝立)・小拍子木などの小道具を使用するのが特徴。

佐田 彦四朗 (さだ ひこしろう)


今福彦四朗の名前の由来となった、毛利氏家臣、杉原盛重(すぎはらもりしげ)配下の忍。
狐や狸の変化にも勝ると噂されるほど、幻術に長けていたという。

 ある冬の事、彦四朗は弟子に、「師匠でも、こうして皆が集まって囲んでいる、囲炉裏の燃えている薪を、盗み取ることは出来ないでしょう。」と言われた。すると彦四朗は、では、盗ってみようか。と言うと、その場にいる者たちに幻術をかけ、そのまま薪が燃えているように見せかけて、その間に、薪をすべて取り去ってしまった。彦四朗が、ぽんと囲炉裏の端を叩いて幻術を解くと、皆、薪が全て無くなっていることに気付き、唖然としたという。

 またある日、入江大蔵という剛の者が彦四朗に、「今宵、自分の刀を盗ってみろ。もし出来たなら刀をやろう。」と言った。その晩、大蔵の屋敷に彦四朗が忍び込むと、大蔵は布団の下に刀を入れて眠っていた。そこで、彦四朗は紙に水を染み込ませ、天井裏から大蔵の顔へ水を数滴垂らした。すると、雨漏りと勘違いをした大蔵は、起き上がって板の間へ様子を見に行った。その隙に、彦四朗は刀を奪って退散し、大蔵の刀を見事手に入れた。ということである。


*彦四朗が登場する書物 → 陰徳太平記

・ブログ内検索・


・*-*-*・


 *原作中心に調べ中。
  小ネタが多すぎて追いつかない。
  映画ネタも入れたいという願望。

・*-*-*・


- 小春日和。 -

 *管理人:吉。(悠)

 *動作確認*
  Win10 IE11
  

 * Since:Aug,2010*

*-Links-*





別系統ですが
*祝『完本 万川集海』発刊*





・*-*-*・


 ↓不具合連絡等はこちらから。   
Powered by NINJA TOOLS


・*-*-*・

 *記事内で使用の展示品の写真は、
  撮影許可のあるものです。

  

Copyright © 小春日和。 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]