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小春日和。

落乱の小ネタをなんちゃってで調べようとした何か

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鉢屋 弥三郎 (はちや やのさぶろう・やさぶろう)


鉢屋三郎の名前の由来となった尼子氏の忍者
主君に追放された尼子経久の月山富田城(がっさんとだじょう)奪還に協力したとされる。

 富田城内で、元旦恒例となっていた千秋万歳(せんずまんざい)を披露するという名目で、大手門より鉢屋衆が城に侵入。城内の油断を見て放火。これを合図に尼子勢が乱入し、楽曲を奏でていた鉢屋衆も隠し持っていた武器を取り出し参戦。富田城奪取に成功した。

 この功で、弥三郎は本丸の北東にある鉢屋平(はちやなり)に長屋を与えられ尼子氏の忍者となり、多くの戦で、奇襲をするなどの活躍をしたといわれる。


*月山富田城 : 戦国時代に尼子氏の本拠地となった、島根県安来市にある城で、中四国最大級の山城。堀尾氏の頃、本拠地が松江に移されたのに伴い廃城。「月山」は、当時の城下町から見て城のある山側から月が登ることから。
*尼子経久 : 出雲守護代。主君である京極政経を追放し、事実上の守護となった。
*千秋万歳 : もとは長寿を祝う言葉で、初春の祝福芸。「あら目出度や五六億七千万歳、弥勒の出世、三会の暁」と囃し立てながら、笛や太鼓を打ち鳴らして舞を舞った。
*鉢屋 : 江戸時代、鉢や瓢(ひさご/ヒョウタンなど)を叩き歩いて布施を受けた者の事。賎民として扱われたためか、アニメでは鉢屋の字を避けて表記が蜂屋になっていた。

〇鉢屋衆
 軽業・諜報・ゲリラ戦等に優れていたそうである。平将門謀反に与した飯母呂(いぼろ)一族は、将門の敗死後に都を追われ、強盗集団となって畿内を荒らしまわった。しかし、名僧・空也上人の家に押し入った折、上人に諭され改心。上人の教えに従い、念仏を唱え、托鉢で生計を立てた。この時、鉦(かね)の代わりに鉢を叩いたことから「はちやもの」と呼ばれ、ここから「鉢屋」となる。京の四条~五条河原町のあたりに苫屋(とまや)を建てて住んだことから苫屋鉢屋とも呼ばれた。後、山陰地方にも鉢屋一党は流れたようだが、出雲付近の鉢屋を束ねていたのが弥三郎であるらしい。

*苫屋 :  菅(すげ)や茅(かや)を荒く編んだむしろで屋根を葺いた家。粗末な小屋の事。


*鉢屋が登場する書物 → 陰徳太平記、雲陽軍実記


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