精神力の強さと早足で知られる、
二郭伊助の名前の由来となった風魔乱破(らっぱ)。
河越の戦いで、北条氏康の密令を受けて上杉軍の陣中に忍び込み、雑兵になりすまして5ヶ月(?)もの間、布陣の様子や内情等、敵の情報を送り続けた。それにより、氏康は上杉方への奇襲に成功する(河越の夜戦/三大奇襲のひとつ)。
陣中から小田原へ逃げる際、上杉軍の太田犬之助という忍に追われるが、猪助の方が速く、逃げ切った。その後、道端に繋いであった馬を使ったから逃げ切ったのだといわれ、上杉方で「駆り出され 逃げし 猪助は卑怯者 よくも太田(追った)が 犬の助かな」という猪助を卑怯者とする落首(狂歌)が貼りだされた。これを知った猪助は、犬之助に駆け比べの果し合いを挑み、勝ったとされる。
そののち伊賀へ行き、風魔忍法を伝えたといわれる。
*猪助が登場する書物 → 関八州古戦録
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