佐竹虎若の名前の由来となった武田氏の忍者で、早駆けの達人。
信濃出身で、武田信玄の重臣・飯富虎昌(おぶとらまさ)に属していたといわれる。
第四次川中島の合戦前、虎昌は軍旗を持たぬまま兵を進めてしまった。気付いた虎昌は、軍旗をとってくるように熊若に命じるが、熊若は、割が岳・甲府間の往復約64里(256km)の道のりを、2刻(4時間)程で走破し、軍旗を携えて戻って来たといわれる。
この時、通行手形を忘れたために城門から入れず、壁を伝ったりして館から旗を持ち出してきたという。また、そのころ、信玄秘蔵の古今和歌集が盗まれたため、窃盗犯の疑惑をかけられるが、犯人である風魔忍者(一説に加藤段蔵)を捕らえて身の潔白を証明したともいわれる。
〇飯富虎昌
武田二四将のひとり。武田信玄は多くの忍びを抱えていたが、そのうち優秀な者60名を3組に分け、甘利虎泰、飯富虎昌、板垣信方に、20名ずつ預けて情報収集に当たらせた。熊若は飯富虎昌に属していた。
熊若→虎若になったのはここから?
〇速さ
忍者は一夜で30里(約120Km)、足の速い者は一夜で50里(約200Km)走ったと言われる。
(参考までに→箱根駅伝走者は時速約18~23Km/h)
〇古今和歌集
905~914年ごろに成立した、日本最初の勅撰和歌集。約1100首の歌を納める。古典作品が一般に広まったのは江戸時代からで、当時は大変貴重な書物。大名は書物を所蔵している公家等(名士・古典学者)を招き、講義を受けるなどして勉強した。(公家にとっても、古典は一種の特権&貴重な収入源なので基本的に外に出さない)
古今和歌集の語句の解釈や、関連分野の学説等の秘説を、師が特定の人物、弟子に伝授することを、古今伝授(こきんでんじゅ)という。
*熊若が登場する書物 → 伽婢子(おとぎぼうこ)
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