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小春日和。

落乱の小ネタをなんちゃってで調べようとした何か

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加藤 段蔵 (かとう だんぞう)


通称:鳶加藤・飛び加藤
出身地:風魔?(伊賀とも)

加藤団蔵・飛蔵の名前の由来となった、飛躍、幻術に長けた忍者。
通称は、高所に飛び降ること、変幻自在の妙手を得ていたことから。

 最初、越後の上杉謙信に仕官。春日山城下において群集に呑牛術を披露し、城下の噂を耳にした上杉謙信の前に召し出される。その際、「一尺余りの小刀さえあれば、どんな堀、塀も飛び越えて城中に忍び入ってみせる」と断言したため、謙信は、家臣である直江の館から、長刀を奪ってくるように命じた。

 厳重な警備の中、段蔵は長刀のみならず、直江の側室に使える少女を眠らせたまま奪取してのけたが、謙信はかえってこの妙技を警戒し、段蔵の討ち取りを命じる。

 これを察知した段蔵は、越後から甲斐へ逃れ、謙信と対立している武田信玄の家臣・跡部大飯助に奉公を乞うが、謙信と同じく段蔵を警戒した信玄の命で討たれたと言われる。

一説に、信玄秘蔵の古今和歌集を盗んだために、捕らえられたとも言われている。


*段蔵が登場する書物 → 伽婢子(おとぎぼうこ)、近江輿地志略(おうみよちしりゃく)

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首実検:首の持ち方


「首を持ち上げるときは 左手の親指を首の左耳に入れ 残りの指であごをかかえて・・・」
(落乱42巻221頁 斜堂影麿)

…首をお目にかくる人、首を首板にすえ、右の手にて首の髻(もとどり/頭髪を束ねたもの)を提(さ)げ、左の手を首板の下に入れて、首板にて首を受けて持って出て、御前通りにて、門外または幕を巻き上げたる所の外にて坐す。さて首板を下に置きて、左の手をば首の耳の中へ大指をかけ、残る指にて腮(あご)をかかえ、右の手は頬より腮をかかえ、首を少しあおのけ、少し左へひねりて持ち上げ、首の右側を(大将に)お目にかくるなり…
(軍礼抄)

首実検 (くびじっけん)

「討ち取った敵の首を大将自ら検査することを首実検というよ」
(落乱42巻 221頁 解説)

 討ち取った相手の首を証拠として持ち帰り、それを認定して記録することの総称。討ち取った首は論功行賞の第一の証拠品、戦果の確認となった。室町時代初期頃から首の取り扱い方、記録、実検方法、相手方への送り返し方など、細かく首に対する儀礼が明文化された。

首に対する礼として、
「対面」 : 大将、貴人、高位の者
「実検」 : 物頭、諸奉行級の馬上の侍
「見知る」 : 徒立の葉武者
と、討たれた相手の身分によって呼び方を変える場合もあった。

寺、または張幕中で武装して検分する。

われ今幸いにこの清き食を受く~


42巻で会計委員がしている食前のことば。

天台宗の食前のことば。仏教では、食事も修行の一つと考えられているため、宗派によって多少の差異はあるものの、食事作法(じきじさほう)が存在する(これを斎食儀/さいじきぎ と言う)
会計委員がしているのは、天台宗の一般向けに簡略化された食事作法。(「仏祖の加護と衆生の恩恵によって」は省略)キャラクターブック天之巻の「忍術学園の一日」では潮江文次郎が食後のことばを唱えている。ちなみに、天台宗の本式の数珠の珠は「そろばん珠(平珠)」である。

(食前のことば)
われ今幸いに、仏祖の加護と衆生(しゅじょう)の恩恵によって、この清き食(じき)を受く。 
つつしんで食の来由をたずねて、味の濃淡を問わず、その功徳を念じて、品(しな)の多少をえらばじ。
いただきます。

(食後のことば)
われ今、この清き食を終りて、心ゆたかに力身に充つ。
願わくは、この身心(しんじん)を捧げて己(おの)が業(わざ)にいそしみ、誓って四恩(しおん)に報い奉らん。
ごちそうさま。

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 *原作中心に調べ中。
  小ネタが多すぎて追いつかない。
  映画ネタも入れたいという願望。

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