
山中幸盛(通称鹿介。鹿之介・鹿之助とも)
出茂鹿之介の名前の由来となっている尼子氏の家臣。
一騎打ちの逸話も残る。
「山陰の麒麟児」の異名を持つ、武勇に優れた美男子であったと言われる。
毛利氏に敗れた尼子氏の御家再興に助力した。主家の再興を願い、
「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという逸話がある。
幸盛はじめ尼子遺臣団は、織田信長の毛利攻略の中国遠征に先鋒として参加するが、
織田軍が上杉や石山本願寺との戦いに備えるべく撤退したため孤立。降伏した。
(上月城の戦い。これにより尼子氏滅亡)
幸盛は毛利輝元の下へ護送される途上、謀殺された。
後に幸盛は、尼子十勇士の一人として称えられ、忠義の武将として講談などに採り上げられる。
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